青雲会の歴史
耐えろ!鍛えろ!夢を持て! 青雲会の歴史
昭和55年8月
川井田病院開設(31床)
勤務医として働いていた時、夜間来た多くの患者から「この地域には救急病院がないので何とかならないものか」と言われ、縁もゆかりもなかった姶良町で「何か世の為 人の為」を実践する為、救急病院を建設することを決意した。
「苦あれば楽あり。楽あれば苦あり。人が寝ている時に寝てたまるか!」という思いで、昼夜を問わず多くの患者を診た。
「艱難辛苦汝を玉にす」
昭和63年
50床に増床
以来、増築4回、改築1回、新築2回を繰り返す(平成25年現在)。
50人の人に好かれ、50人の人に嫌われるのが普通で右顧左眄(うこさべん)しない。
「何か世の為 人の為」という理念を核に、
「耐えろ 鍛えろ 夢をもて」の精神で組織を大きくしていく。
平成3年4月
病院名が個人名だと職員の士気があがらないので、漢詩より青雲病院に名称変更。
賦ふ命めいは疾しつ徐じょあり 青雲は力つとめて致いたし難がたし
宿しゅく昔せき青雲の志こころざし 蹉砣さたたり白髪の年
平成3年7月
136床に増床
ロゴ考案「地方にいても心は中央」そのような思いの中、今から何世代か後には「鹿児島に青雲会という病院がある」と言われる日がいつか来るだろうとの思いで、鹿児島のシンボル桜島に稲光のように光る青雲の“S”をつけている。
平成13年5月
柔道クラブ青雲柔道クラブ設立
学生時代に打ち込んでいた柔道を通して、将来のオリンピック選手を育てようと、青雲柔道クラブを設立。
平成15年
全職員禁煙
きっかけは開院記念パーティや忘年会の席で女子職員も含め煙草を吸う職員が多く、その様子がだらしなく見え酷かった。翌日から「煙草を吸う人は昇給なし」「喫煙者は採用しない」と決めた。
現在は、喫煙者は解雇している。
平成15年12月
胃癌が見つかる。青雲病院で手術。施設の不備や職員の言動の悪さに気づき、新築移転を決意。同時に接遇教育に力を入れる。
平成16年4月
介護老人保健施設 青雲荘開設
平成19年11月
電子カルテ導入
平成19年4月3日
青雲会病院 着工
平成20年7月
青雲荘と合築し、青雲会病院に病院名変更。そして新築移転オープン。
真夏の猛暑の中、全職員が一致団結し全ての移転業務を1日で終えた。
平成22年8月
かねてより暖めていた思い、「青雲タウン」構想実現の核となる、サザンブルー鹿児島(シニアマンション)完成。
若い時代に一生懸命働き、社会に貢献されてきた方々が、老後に一人暮らしで、話す相手もなく、寂しい思いをされているという世間話を、診療の合間によく聞いており、そういう方々が悠々たるひと時を過ごしていただけるようにとの思いから「青雲タウン」を構想する。
その後、イタリアンレストラン ダ・クオーレを誘致。
平成27年10月
医療法人から社会医療法人へ
令和5年10月
「青雲タウン」から「青雲ローンガーデン」に名称変更。
同敷地内に、”鎮座のまんま 碧”と”アトリエ 珈苑”を誘致。